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小樽の食・グルメといえば、寿司や半見揚げ、スイーツのイメージが強いかもしれません。
しかし、意外に感じる方がいるかもしれませんが、小樽はお餅の街です。
小樽にはなぜ餅屋が多いのでしょうか?老舗の餅店「雷除志ん古(かみなりよけしんこ)」と小樽市総合博物館を訪ね、小樽の歴史的食文化のルーツを探ってみました。
小樽に餅文化が根付いた4つの理由を紹介します。
小樽の餅文化を探るには歴史背景を知ることが大事
小樽の餅文化を探るには、まず小樽の歴史背景を知ることが大事。小樽のお餅のルーツは、小樽の街が発展してきた歴史的経緯が大きく影響しているからです。
小樽は北海道の中では商業活動の歴史が古い街。まずは簡単に小樽の街が発展してきた歴史背景を振り返り、餅文化に関連する歴史的エポックを記します。
- 明治時代初期
北前船(きたまえぶね)と呼ばれた交易船が小樽の港に出入りするようになり、東北地方や北陸地方、関西地方などとお米や海産物などの交易が始まりました。小樽は北海道の拠点の1つに。 - 明治時代中期から後期
明治10年代に入ると、小樽と開拓使庁が置かれた札幌の間に鉄道が開通し、その後三笠など産炭地まで鉄道がつながりました。同時期に小樽には海運会社や倉庫会社も生まれ、小樽は北海道と本州をつなぐ物流の拠点として多数の貨物船が入港して発展しました。 - 大正時代から昭和時代初期
大正12(1923)年に小樽運河が完成すると港はさらなる賑わいを迎え、荷下ろしや運搬のために労働者が多数小樽に集まりました。また、本州各地や利尻、樺太(現在のサハリン)との定期航路もあり、道内各地の行商人が小樽へ出入りしていました。
小樽の餅文化は諸説ある
小樽市内に餅屋が多い理由は街が発展してきた歴史的経緯が大きく影響しているのですが、小樽の餅文化についての詳しい理由は諸説あります。
小樽市総合博物館の学芸員さんに教えて頂いた情報と、小樽市内の老舗餅店「雷除志ん古」にて伺ったお話をもとに、小樽に餅文化が根付いた背景を4つまとめてみます。
港湾労働者に餅が好まれた
明治時代から大正時代にかけて、小樽の街は港湾都市として発展しました。
当時の荷下ろしや運搬は人力。現在のようにクレーンやフォークリフトなどない時代、働く人にとってはかなり過酷な肉体労働だったはずです。
港で働く労働者の間で好まれたのがお餅。
安くて持ち運びしやすい食べ物で、適度に甘くて手軽にエネルギー補給ができ、腹持ちもいいお餅が好まれるようになったと言われています。
小樽でお餅文化が広まった背景には諸説ありますが、港湾労働者の間で好まれたということが有力な説として伝えられています。
交通の要衝にて餅の原料が集まった
小樽に餅文化が根付いた2つ目の理由は、交通の要衝にてお餅の原料となる食材が集まったことです。
お餅の主原料はもち米。
昨今は北海道で美味しいお米が栽培されて採れるようになりましたが、昔は北国での稲作は困難でした。
ただ、北海道内にお米はなくても、小樽など北海道の豊富な海産物を本州へ送るかわりに本州から美味しいお米が入ってきました。
さらに、北海道各地で作られる小豆や砂糖(てんさい糖・ビート)を本州へ送るため、
道内各地から鉄道で小樽へ運ばれてきました。
かつての小樽は、お餅を作る原料となるお米、小豆、砂糖が集まってくる街だったのです。
米どころではなかった北海道の小樽でお餅が作られるようになった背景は、小樽が物流の拠点として栄え、お餅の食材が集まってきたことに起因しています。
坂の街で冠婚葬祭に餅が配られた
小樽にお餅文化が広まった背景には、坂の街が広がる小樽で冠婚葬祭に餅が配られるようになったという説もあります。
商業港として多くの人が集まると、港の周辺には商店ができ、市場ができ、銭湯ができ、神社やお寺もできました。
だんだんと街が形成されていきますが、小樽は海の背後に山が迫り平地が少ない土地柄。坂道沿いに小さな街がいくつも生まれました。
昔の商店では祝い事があるとお餅が配られ、冠婚葬祭ではお餅が供えられるのが一般的。
小さな街が点在していた小樽で、弔辞慶事の需要に応えるべく餅屋がそれぞれの小さなコミュニティーに生まれました。市場をはじめ街中には必ずといっていいほど餅屋があったそうです。
かつて小樽に100軒以上餅屋があったという話も納得。小樽が坂道の街だからこそ餅屋が多くできたとも言えるのではないでしょうか。
行商人が餅を広めた
小樽に餅文化が広まった背景には、行商人が小樽の餅を北海道内各地へ広めたことも影響していると言われています。
当時の行商人は「ガンガン部隊」と呼ばれて、海産物や農作物をブリキ缶に詰め込んで小樽から北海道内各地へ行商していました。
ガンガン部隊が鉄道で北海道の内陸地にある産炭地などへ行商する時、内陸地では手に入りにくく好まれるものを小樽の市場で仕入れて運んでいました。
好まれたものが、海産物や日用品とともにお餅。当時の北海道内でお米が採れなかったからです。
各地へお餅を届けるとともに、行商人自身の長旅に備えて手軽に食すことができるという点もお餅が好評だったポイント。
昭和40年代頃まで活躍した行商人によって、小樽の餅文化が支えられたと言われています。
小樽の餅文化については諸説ありますが、港町として発展してきたことが大きく関係していることは間違いないと言えるでしょう。
小樽の老舗餅店「雷除志ん古」
小樽の老舗餅店「雷除志ん古」は、小樽に現存するお餅屋で一番歴史のあるお店。江戸時代後期から営業を続け、150年以上も代々続いている老舗です。
創業当初は小樽の手宮地区にお店がありましたが、現在はJR南小樽駅から歩いて5分ほどの若松地区にお店を構えます。
3-1.江戸時代から150年以上続く老舗の職人技
暖簾を守るのは、4代目の藤野戸(ふじのと)さん。20代の頃に先代からお店を引きつぎ40年以上、創業以来の味を感覚で覚え、受け継ぎ守り続けています。
餅の柔らかさや食感、大福のあんこの練り加減や味わいなどは先祖代々江戸時代から続くもの。この店ではただ1人、4代目店主にしかしかできないという職人技だそうです。
杵は機械で打ち下ろしますが、餅つきは手作業。季節や天候により餅の状態が異なるので、手の感触が頼りなのだとか。熟練の技と長年の経験がモノをいいます。
ついたお餅はすぐさま粉をつけて大福つくり。もちろんこれも手作業、1個分ずつ手でちぎって作っていきます。
買うなら早朝!朝9時で売切れになることも
雷除志ん古でお餅を買うなら早朝!朝9時で売切れになることもある場合も多々あります。
お餅屋さんの朝は早いです。
雷除志ん古では毎朝4時すぎには餅を作り始め、7時前には商品を並べられるようにしているそうです。
年末年始などお餅の需要が多い時期は、深夜12時位から準備を始めていかないと追いつかないのだとか。
訪れた日は朝7時30分にお店へお邪魔しましたが、早朝にも関わらず近所の方々が次々と立ち寄り買っていきました。
1人で5個程度買う方もいれば40個位まとめて買う方もいます。これから工事現場などで働くという風貌の方が買っていく場面も。かつて港湾労働者が好んで買っていったという姿が現在にも生きているかのような感覚です。
営業スタートが朝早いこともあり、会社勤めの人や学生さんが出勤時や通学時に買っていくということも多いそうです。
とても朝が早いお店。買うなら9時前に行くようにしましょう。
雷除志ん古の定番、大福は塩気があってスッキリした味
雷除志ん古の定番商品は大福。
白、赤、豆、ゴマ、よもぎ、以上5種が基本商品です。
いつも作りたてを順番に店頭へ出していくので、5種類揃っている時もあれば、一部の種類しかないという時も多いのだとか。
また、売切れになることもよくあるので、確実に欲しい場合や数多く頼みたい場合は、予め電話予約をしておくと確実です。
雷除志ん古の大福の特徴は、ほどよい固さのお餅と塩気があるあんこ。
塩気が甘さを引き立てるので、甘ったるさやくどさがなくスッキリした味わい。
おやつではなく、仕事の始まりや手軽な昼食にピッタリ。これぞ働く力の源であり一日の活力になります。
旅行通なら小樽で餅を食べてみて!
小樽の港湾業や商業がピークを迎えた昭和30年代、小樽の街中には餅屋が多数ありました。その後は港湾都市・経済都市から観光都市へと変貌し、労働者や行商人が行き交った街は、観光客で賑わう街になりました。
小樽の街の変化に比例するかのように餅屋の店舗数が年々減ってきましたが、餅文化は昔と変わらず小樽の街には根付いています。
昔ながらの佇まいを残す餅屋が早朝から暖簾を構え、地元の人たちに重宝されています。
お餅や大福の味わいはお店ごとに異なるので、小樽の歴史を感じつつ食べ比べしてみるのも面白いかもしれません。
小樽旅行で食・グルメと言えば、一般的には寿司や半身揚げ、スイーツが思い浮かぶと思います。でも、旅慣れた旅行通の方なら、小樽でぜひお餅を食べてみてください!伝統の食文化を味わってみませんか?
※この記事は2015年に取材・執筆した内容を2021年に改訂しました。