地域資源の発掘と観光振興には、やはり第三者の視点が必要

nobukaの日記

北海道とは限らず、都市や地方にも関係なく、地域資源の発掘と観光振興には、やはり第三者の視点が必要だと改めて感じました。「よそ者、ばか者、若者」とよく言われますが、まさにそのとおり。先日、こんなことがあったので再認識をしました。

官民の要職者が集う会議に参加した時の驚き

2016年の某日、とある国際的なホテルチェーンの総支配人と行政担当者や元市長の方々が集まり、地域資源の発掘と観光振興に関する会合に呼ばれ、企画プレゼンをしたうえで、話し合いをしました。いわゆる、地元学の実践版・ビジネス版のような場です。

銭函~朝里間、張碓の海岸▲JR函館線の銭函~朝里間、張碓の海岸

この場で少し話が脱線し、小樽市の銭函地区が最近注目のエリアだと言ったところ、参加者の一人が、「あんなところ何もない」と一蹴しました。

どうやら、その方は偶然にも銭函地区の在住者。たいした魅力もないので、観光客など来るわけもない、紹介するまでもない、ということでした。

「この街には何もない」というが、魅力的なコンテンツが多数ある現実

では、実際どうなのでしょう。

海岸が間近の銭函駅は、都市から少し離れた解放感があり、さらに駅名にちなみ駅舎内に千両箱が飾られています。この雰囲気と佇まい、縁起のよさそうな駅名と千両箱に惹かれて駅に降り立つ人たちがいます。

駅から歩いて行ける範囲に海も山もあるので、自然散策などを楽しむ、ヘルシーウォーキングなどの企画もよく実施されています。

そして何よりも、駅周辺には近年、カフェやイタリアン店、スープカレー店など、オシャレなお店がじわじわと増えています。情報感度の高い人が、この地区の風情と環境の素晴らしさをキャッチしたからこそ、お店が増えているのだと思います。

「この街に何もない」のではなく「この街の魅力に気づいていない」

「この街には何もない」のではなく、「この街にある魅力に気づいていない」だけです。知らないだけです。地域活性や観光振興をする時にありがちな、自分の街のことを知らない、客観視できない、典型的な例だと思います(発言された方には失礼な言い方で申し訳ないのですが…)。

自分が住んでいる地区を「観光」という視点ではなかなか見られないものでしょう。なぜなら、その人にとっては日常の街なので、遊びに行く非日常の街という感覚にはなりにくいからです。平たく言うと、毎日見ている風景が当たり前の光景なので、珍しいとも目新しいとも感じないということです。

住んでいると意外と自分の街の魅力を見落とす

かくいう自分自身も、今現在住んでいる札幌について、何を知っているのかと考えると、よくわかっていない気がします。今年の冬は「小樽雪あかりの路」でイベントを開いていたので、「さっぽろ雪まつり」を見ていませんし、「ライラックまつり」や「よさこいソーラン祭り」も見た記憶があまり残っていません。観光スポットとして有名な時計台で写真を撮ったのは、10年以上前が最後です。札幌へ引っ越してから数えきれないほど、時計台の前を歩いているのに。

横浜に住んでいた時も、みなとみらいなどベイエリアは観光客が行く場所と勝手に決めつけ、どこか見下していて立ち寄ろうとしませんでした。渋谷や新宿へ遊びには行くものの、横浜は乗り換える時に降り立つ程度で、実は街のことをよく知らなかったと思います。

とかく、自分が住んでいる街については、あまりに日常すぎて街の特色や価値に気づきにくいものですね。気づいていても、活用していこうと意識していないのかもしれません。意外と自分の街の魅力を見落としているようです。

第三者の視点とほか地域の人たちとの交流が重要

地域活性の場で、「よそ者、ばか者、若者」が必要とよく言われますが、本当にその通りだと思います。地域を変えるには、そこに住む人たちのエネルギーが当然必要ですが、そのエネルギーを燃やための着火剤は第三者です。

 

内にこもっていてはダメ。外に出て、違うフィールドとの交流もしていかないと。地域活性や観光に限らず、人間力のアップという意味でも。

よその世界の人たちと交流をし、自分の街を見つめていくようにしたいです。自分自身の戒めとして。

 

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