カミングアウト|川島信広は川島暢華、トランスジェンダーです

川島暢華

私、川島信広は川島暢華(nobuka、通称名)、「トランスジェンダー(MtF)」の「レズビアン」です。

「LGBTQ+」、セクシャルマイノリティであることを対外的に公表、つまりカミングアウトします。

私のセクシャリティについて、2019年から一部の方にお伝えはしてきましたが、2020年6月21日からはすべての方へ公にしたうえで仕事も私生活も過ごしていきます。

※2022年に戸籍を変更し、現在は正式な名前が川島暢華です(2022年6月追記)。

川島暢華

※長い文面にて、以下の目次で気になる箇所だけタップし、スキップしてご覧になって頂いてかまいません。

この先どうするのか?

いでたちは女性に見える姿にて公私とも過ごしていきます。とはいえ仕事都合など、時と場合によって“男装”しますけど(^^)

悩ましいのは大好きな温泉。身体的特徴が男性のまま女湯に入るわけいきませんので……、ワイルドなお兄さんを装い男湯入ります♪

それと、グループで出かけた先での相部屋宿泊も難題。別室・別宿にするか“男装”するか……、状況次第で幹事さんに確認相談しながら決めます。

2020年5月よりホルモン治療はしていますが、性別適合手術を受けるのかどうかは未定です。ホルモン治療や性別適合手術についての詳細な状況は後述します。

2020年より「さっぽろレインボープライド実行委員」を務めています(写真は2019年)

2020年はさっぽろレインボープライド実行委員を務めます(写真は2019年)

 

何と呼ばれたいか?

当面の間は本名の川島信広という名前は使いつつ、通称名として川島暢華(のぶか)を名乗ります。いずれ機を見て本名(戸籍名)を川島暢華に変える予定です。

昔から友人知人からは「のぶさん」とか「のぶちゃん」「のぶりん」と呼ばれることが多かったのですが、今後も呼び名は変わりなく大丈夫です。

ライターほかクリエイター業など仕事の場面(著作者名など)では状況に応じて当面本名も使いますが、ゆくゆくは川島暢華もしくはnobukaにしていきます。

私が過去と変わったことに対し全然気にしないよというみなさまは、これまで同様に接して頂けますと有難いです。

もちろん人の考え方はさまざまにて、快く感じない方や嫌悪感を抱く方もいらっしゃると思います。静かに距離を置く方も出てくるかとも思います。

無理に理解してほしいと申しません。もし距離を取りたいと思われる方がいらっしゃいましたら、残念ではありますが仕方がありません。

 

いつLGBTQ+になったのか、診断はいつしたのか

いつLGBTQ+になったと明確に断言することはできません。

あえて明確にわかりやすく説明できることは、札幌医科大学附属病院のGIDクリニック(性同一性障害の専門外来)にて、性同一性障害と診断がなされたこと。その後、ホルモン治療の認可も下りました。

カラダと心の性の不一致については幼少期より何となく違和感があったのは確か。過去の振り返りや想いについては長くなるため後述します♪

 

札幌医大のGIDクリニックで確定診断

  • 2017年9月、札幌医科大学附属病院のGIDクリニックへ通院開始
  • 2019年3月、同病院のGID会議にて性同一性障害・性転換症と診断(確定診断)
  • 2020年3月、同病院のGID会議と専門部会でホルモン療法の実施認可が下りる

性同一性障害とは、自分の認識している性と身体的性別が一致しない状態のこと。
カラダと心の性別に差があるトランスジェンダーの中で、カラダと心の性別を一致させることを間違いなく強く望んでいると医療機関が判定した人に下されるものです。

この診断は軽々に下されるものではなく、専門の医師複数より何回もの診察や心理テストのようなものを受けたうえで病院関係者での話し合いの末に決定されます。確定診断と呼ばれていて、それなりに重みはあると思われます。

日本では性別不一致によるホルモン治療や性別適合手術は確定診断が下っていることが必須条件。日本では時間とともに費用もかかるので、独自の判断で個人輸入したホルモン剤を投与したり海外で手術をしたりする方はけっこう多いようです。

私はカラダのことを自己判断で決めるのは怖いので、諸々手続きに則りホルモン治療をしています。

 

ホルモン治療ってどんなことをするの?

男性から女性になるためのホルモン治療は、大きく3つのパターンがあります。

  1. 飲み薬による女性ホルモン投与
  2. 注射による女性ホルモン投与
  3. 塗り薬や貼り薬による女性ホルモン投与

「1」はコストが安く手軽なものの副作用のリスクが一番大きいパターン。

「2」は副作用のリスクが低めですが2週間に1回通院が必要で、日によって体内のホルモン量の上下幅が大きくなるため身体的・精神的な浮き沈みのムラが出る可能性があります。

「3」は副作用リスクも低く安定した投与ができるもののコストが一番高いです。

私は安全第一と思い、「3」を選択。カラダは私にとって一番大事な資本なので。

私が投与している女性ホルモンは更年期障害の女性の方が投与する薬と一緒。投与量が更年期障害の女性よりも多いというだけです。

女性ホルモンを投与することで、顔つきや体形が多少変化していく模様ですが、劇的な変化や声の変化はしません。
女性が男性ホルモンを投与すると声が低くなるそうですが、男性が女性ホルモン投与しても声はかわらないそうです……(残念)……。

札幌医大の先生によると、性別適合手術を受けなければホルモン投与は状況により中止できますが、性別適合手術を受けた場合、ホルモン投与は一生続けていく必要があります(手術後は体内でホルモンが生成されないので)。

 

なんと札幌医大の初診は抽選でした

北海道は専門医療機関が稀有なため、2019年までは札幌医科大学附属病院のGIDクリニックでは初診を受けるための抽選があったのです(2020年は初診受付自体を休止)。

抽選は3カ月に1回、郵送方式。この抽選で当選した人だけ受診できるというシステム。
私は運よく2回目で当選しましたが、何回も外れ1年経ても初診を受けられなかったという知人もいました。

医療機関や専門医が少ないということもありますが、抽選をしなくてはならないほど当事者が多いということの裏返しでもありますね……。

初診の後も2、3カ月ごとの受診となるため、ホルモン治療まで思いのほか恐ろしく時間かかりました。

確定は3月、書面発行は6月

確定は3月、書面発行は6月

 

性別を変えるのか、性別適合手術をするのか

理想の姿にするには性別適合手術ほか諸々の手術だけでウン百万円とかかるので、どこまでするのか、何からするのかは自分の心と身体と財布の中身の健康状態を見ながらお医者さんと一緒に考えていきます。

日本で戸籍上の性別を変えるには、性別適合手術を受けていることが必須。
日本で性別適合手術をする場合は、ホルモン治療を続けたうえでの身体的・精神的な状況次第となるため、最低でもホルモン治療を開始してから1年から1年半以上先になります(札幌医大の場合は)。

性別適合手術は基本的に外性器を希望する性別の形状へ変更する手術のみ。胸や声の変更や体毛処理などは全く別で、ほかの医療機関などでの対処が必要になります。

 

将来的にすべて行うかもしれませんし、一部のみ行うという判断にするかもしれません。
少なくとも前述したとおり、いでたちは女性に見える姿にて公私とも過ごします♪

私の主義主張ばかり申し上げたところで、「女だって辛い時あるのよ」「男だっていいじゃない」というご意見もあろうかと思います。
そういう場面もあるのだろうなと思いつつ、男性でいること、男性として扱われることにすごい抵抗感があるので……。不快・不愉快に感じられましたら本当にすみません……。

 

トランスジェンダー(MtF)のレズビアンとは

セクシャルマイノリティについての一般的なお話を交えながら、私のセクシャリティについて紹介します。

 

トランスジェンダーのレズビアンとは

私はトランスジェンダーのレズビアンですが、どのようなセクシャリティなのかを紹介します。

レズビアンのほかゲイやバイセクシュアルは性的指向(好きになる性)を表したもの。端的に言うと以下です。

「レズビアン」
性自認(自覚している性、ココロの性)が女性で性的指向が女性の方々。

「ゲイ」
性自認が男性で性的指向が男性の方々。

「バイセクシュアル」
性自認が女性もしくは男性で、性的指向が男性・女性の両方の方々。

この3者は性自認と性的指向が同性か双方か、ということです。生まれた時の身体的性別(カラダの性)の違いではなく、自覚している性を基準に性的指向によって分けられています。

いっぽうトランスジェンダーは以下です。

「トランスジェンダー」
生まれた時の身体的性別と性自認が一致しない方々。

前の3者と異なり、好きになる性の違いではなく、カラダの性とココロの性が異なっている状態ということ。
つまり、3者は自覚している性を基準にした性的指向の概念ですが、トランスジェンダーは生まれもった性を基準に自覚している性との不一致という概念です。
そのためトランスジェンダーの性的指向はさまざま。好きになる性が同性の方もいれば異性の方もいますし、双方という方もいます。

 

言葉だけだと少しわかりにくいかもしれませんが、以下の図解を見ると概念がとてもわかりやすいです。
この図では必ずしも全てのセクシャリティを表現しきれていないのですが、少なくともレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーに関してはこれを見れば大筋理解できると思います。

電通ダイバーシティ・ラボ(DDL)「LGBT 調査 2018」についての補足説明(電通)

電通ダイバーシティ・ラボ(DDL)「LGBT 調査 2018」についての補足説明(電通)

 

トランスジェンダーはこの図の「4」から「9」まで全ての方のことです。
レスビアンは「5」と「11」です。

この図の中で私がどこにあてはまるかというと、「5」です。
性自認(上記図だとココロの性)は女性、性的指向(同、スキになる性)も女性です。

そのため、生まれ持った性(同、カラダの性)に対し性自認が異なる性別なので「トランスジェンダー」であり、性自認と性的指向がともに女性で同性なので「レズビアン」になります。

レズビアンは生まれもった性が女性と思われがちですが、必ずしもカラダの性が女性だけではないのです。

逆に、カラダの性が女性で、性自認も性的指向も男性という方もいらっしゃいます。この方々は「トランスジェンダー」の「ゲイ」になります。
ゲイも同様に、カラダの性が男性とは限らないのです。

 

「MtF」とは?「FtM」「MtX」「FtX」も何?

「MtF」
「Male to Female」の略で、男性から女性へ性別移行を望む人のこと。

「FtM」
「Female to Male」の略で、女性から男性へ性別移行を望む人のこと。

トランスジェンダーの範疇はかなり幅広いので、トランスジェンダーの中の一部にMtFの方やFtMの方がいるということになります。
トランスジェンダーの中には、性別不一致を感じながらも性別移行までは望まないという方もいらっしゃるためです。

さらにMtFやFtMの方々の中で、カラダと心の性別の一致(つまり外科的手術)を望んでいて専門医療機関にて確定診断を受けた方が、性同一性障害と診断された方となります。

 

似た言葉で混同されがちなのですが、「MtX」「FtX」という方々もいらっしゃいます。

「X」とは男性でも女性でもなく中性や無性別を望む「エックスジェンダー」という方のこと。カラダの性が男性のエックスジェンダーはMtX、カラダの性が女性のエックスジェンダーはFtXといいます。

 

上記より、私はLGBTQ+当事者でトランスジェンダー(MtF)のレズビアンです。

nobuka

 

「LGBT」ではなく「LGBTQ+」と言う理由

「LGBTQ+」とは、以下の頭文字をとって作られたセクシュアルマイノリティ(性的少数者)の人たちの総称のことです。

  • 「レズビアン(Lesbian)」
  • 「ゲイ(Gay)」
  • 「バイセクシャル(Bisexual)」
  • 「トランスジェンダー(Transgender)」
  • 「クィア・クエスチョニング(Queer・Questioning)」
  • 「プラス(+)」

LGBTという言葉は日本国内でだいぶ浸透はしてきました。

私はLGBTではなくLGBTQ+という言葉のほうが実情に合っていて正しいと考えています。
なぜなら、LGBTではレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー以外のセクシャリティの方々が含まれていないからです。

 

ちなみに「Q」を表すセクシャリティは以下の2者です。

「クィア」
セクシュアルマイノリティ全般を表した言葉。元々は「風変り」「変態」などという意味合いでセクシャルマイノリティに対する差別的な言葉でしたが、近年は肯定的なニュアンスで使われています。

「クエスチョニング」
自分の性自認(自分が感じている性別や望む性別)や性的指向(好きになる相手の性別)を意図的に明確にしたくない方や決められない方のことを言います。

「+(プラス)」はレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クエスチョニングの概念にあてはまらないと考えている方々のこと。
「クィア」と似ているように感じますが、「+」はセクシャリティ全般を指すのではないので異なります。
たとえば以下の方々です。

「エックスジェンダー」
性自認が男女どちらでもなく中性や無性別だと明確に考えている方々。

「インターセクシャル」
生まれた時から身体に男女双方の特徴を持つ方々。

「アセクシャル」
性別関係なく他者に性的魅力を感じない方々。

「パンセクシャル」
相手の性別に関わらず愛することができる方々。

バイセクシャルは男性と女性の双方の性別を愛することができるのに対し、パンセクシャルは相手の性別にとらわれることなく愛することができます。
パンセクシャルの方は、たとえばクエスチョニングやエックスジェンダーの方も性的指向の対象になります。

なお、パンセクシャルはバイセクシャルの一部だという考え方もあるうえ、エックスジェンダーはトランスジェンダーの範疇に含まれるという考え方もあるようです。

 

セクシュアルマイノリティに関する専門用語はかなり多く、このほかにもさまざまなセクシャリティや概念があります。上記の記載内容と異なる見解をされる方もいらっしゃいます。

正直、すべての方に不都合なく満遍なくというのは難しいです。

当事者の方々などにおかれまして、上記記載内容にて不快・不愉快に思われる方がいらっしゃいましたら、大変申し訳ございません……。もしも不適切な記載がありましたら、ご教授頂けますと幸いです。

少なくとも、LGBTという言葉ではセクシャルマイノリティ当事者でありながらあてはまならいと考えている方もいらっしゃるので、LGBTQ+がより実情に合った正しい用語だと思っています。

 

ここまで説明をしておきながらなんですが、人をカテゴリで分けること自体が本来ナンセンスだと思っています。
社会通念上、また社会生活の上で必要な場面が多いため、便宜上仕方ないと私は認識しています。

さっぽろレインボープライド2019でのバルーンリリース

 

振り返り|学生時代、社会人時代、あの時こうだった

自分自身がLGBTQ+だと明確に自覚をしたのは比較的歳を重ねてからのこと。2010年代に入ってからです。
幼少期から長い間ずっと妙な違和感がありましたが、自分自身がセクシャルマイノリティに関する正しい知識がなかったこともあり、当事者だという認識はあまりありませんでした。

ここでは2020年6月時点で自分の過去を振り返り、学生時代や社会人時代など、あの時こうだったと思うことを記します。

この先はさらにかなり長いので、当時一緒に過ごした仲間などで気になる方がいらしたらご覧くださいませ。

 

メイクデビューは幼少期!?

幼少期からなんとなく変だなという感覚はありました。

「女の子いいな~」という漠然とした気持ちや、男の子と遊んでいるより女の子と遊んでいるほうが楽しかった記憶。

自分の記憶には残っていないのですが、母親によると、幼い頃に母親のメイク道具を勝手に使って自分の顔に塗っていたそうな。興味本位か本能かわかりませんけど。

 

小学生の頃、当時の男の子の遊びは草野球が主流。学校帰りにみなよく公園で野球をやっていましたが、私は極力行きませんでした。行かないというより行きたくなかったのです。

とはいえ毎回誘われてあまりに行かないと仲間外れにされると感じ、たまに顔を出して途中で帰るようにしていました。行くのがほんとイヤでした。子どもながら大人の事情で付き合うような感覚。

いっぽう、女の子のお友達の誕生日会に呼ばれて行ってみると、10人程度いる中で私以外全員女の子ということがありました。ちょっと恥ずかしい気がしつつも嬉しくて楽しかった想い出です。

この頃はスカート履きたいとか女の子になると駄々をこねるようなことはなかったと思います。男の子の中にいるとなんとなく違和感があるというか、居心地のよさ・悪さくらいしか認識していなかった気がします。

 

男社会から逃げ出したかった学生時代

中学・高校は今思うとありえないのですが男子校。
男性・女性の意識をまだそれほどしていなかったうえ、進学校へ行くという志向しかなかったので、男子校か共学かということはよく考えていませんでした。

 

男だけの6年間。居心地の悪いこと、悪いこと(笑)

むさ苦しさと汗臭さで息が詰まりそうな日々。
特に体育の授業で柔道など、カラダが触れる場面は本気で気持ち悪すぎて嫌悪感ハンパなかったです。
男子トークや男子っぽい遊び方に参加してみてもしっくりこないし、興味関心があまり及びませんでした。メンズの服にも惹かれませんでしたし。

男だけの環境で自分もそのうちの一人で男として存在している状況。
男しかいない社会は肌に合わない。私はダメなのだなと気づきました。

 

この当時の唯一の楽しみは乗り鉄(男の子っぽい趣味かもしれませんけどね)。
列車に乗って出かけるのが好きだったので、お小遣いをためて休みのたびに現実から逃げるかのごとく列車の旅をしていました。

中学生の時から夜行列車や夜の駅待合室を宿がわりにして(当時は大らかだったので……)国内を巡り、その中でも一番印象に残った地が北海道。
今私が北海道で暮らすようになった理由の源流の一つでもあります。

 

学生時代の仲間を毛嫌いしているわけではなく、一人ひとりの人間として付き合っているので未だに交流はあります。単に、男だけの環境で自分が同化している状況が心底無理だったというだけです。

 

大学受験をする際、まわりの誰もが偏差値の高い学校を目標に考えていました。
でも私はちょっと違っていました。

今だから言えますが、当時の私の大学選びの基準は、単純に男女比。
とにかく男ばかりの学校には絶対に、何が何でも行きたくなかったのです。

文学部なら多くの大学で女性比率が極めて高いことはわかっていたのですが、受けませんでした。6年間男社会にいたため環境の激変が怖かったことと、当時国語と英語が大嫌いだったので文学部はありえないからです。

女性比率が高く、旅して各地を見てきて興味関心があった地域づくりや街づくりに近いことに触れられそうな学部。これが私の受験先候補でした。

結局一年浪人しましたが、予備校は当時住んでいた横浜市内ではなく、中小の予備校で女性が多そうという噂を聞いてわざわざ新宿まで通いました。

 

大学デビューは女子デビュー

予備校で一年間リハビリをしてから大学へ入学し、男女双方が普通にいる環境となり気分は落ち着きました。

アルバイトも複数していて、どこも男女双方いる環境。女性のほうが圧倒的に多い職場もあり、居心地よく過ごしていました。

気分が落ち着いたといっても、当時の男子大学生のよくある遊び方やつるみ方をしてみても、どうも居心地悪いというかしっくりこないのは変わりません。

女性たちと話したり遊びに行ったり買い物に出かけるほうが心地いい印象なのですが、若い頃の男女は友達付き合いより恋愛対象になるか否かで判断しがち。
男女のお付き合いのような雰囲気に発展するのは自分自身がちょっと微妙な感覚でした。

男性として扱われ、ステレオタイプの男性像を求められることに、どうやら無意識のうちに抵抗感があったのだと思います。
当時の世間一般で言われていた「男らしくする」「男だからこうあるべき」という考え方は全くもって理解できませんでした。
意味がわからないというか、生理的に受け入れられなかったのだと思います。

 

化粧や女性の服装を着始めたのは大学生の時。

サークルの合宿先で、女性の手により男性が全員メイクをしてキレイ度を競うという遊びの企画がありました。
表情には出さないようポーカーフェイスを気取っていたものの、キレイに仕立ててもらい心の中では心底嬉しかった記憶があります。

 

当時私が通っていた大学では、学園祭の最終日に集団で仮装をして青山通りを渋谷まで大行進するのが恒例行事。
みな誰もが仮装をすることを免罪符に、私はメイクをしてセーラー服を着てヤンキー女子学生のようないで立ちで青山通りを闊歩しました。

ドキドキしつつ、「これが自分のあるべき姿なのかもしれない」となんとなく実感。
最後に服を脱ぎメイクを落とす時、終わってしまうことが残念でならなかった記憶があります。

 

大学生活に慣れてきた頃、髪を顎下くらいまで伸ばして軽く茶色に脱色していました。
表向きは調子にのってる大学生を気取りつつ、本能的には男っぽい風貌やいで立ちが嫌だったので。

私は幸いなことに男性の中では身長がそれほど高くないうえ顔立ちや体形がゴツくなく、今より体重が10kg以上痩せていて比較的細身でした。レディースの既製服でも難なく入る体形。
「体系的にメンズよりレディースのほうが合うんだよね」などと苦しい言い訳をしてバイト先の女性に服選びに付き合ってもらったことも。

そのため、街で女性に間違われることも時折。

街中で女性向けのポケットティッシュを差し出されるとちょっと嬉しく、後ろ姿で誤解をしたと思われるお兄さんにナンパをされると「男ですけど」とぶっきらぼうに拒否しつつも、女性に見られたことに対して心の中で「ヤッタ~!」という気分でした。

サークルの同期や後輩たちとスキー場へ行った時、フロントで誤って女性用の鍵を渡された時には心底嬉しく、スキーをした記憶はほとんど忘れているのにフロントの時の記憶だけ鮮明に覚えています。

 

私が学生だった頃、SNSはおろかwebも一般社会にない時代。
もしこの当時、今のようなセクシャルマイノリティに関する情報と知識があったら、私は普通に女性の服装を着て大学へ通っていたと思います。

当時セクシャルマイノリティに関する情報はほとんど知らず、知っていたのはテレビのバラエティー番組の保毛尾田保毛男くらい。
トランスジェンダーという言葉どころかそのような概念すら世の中になかった(もしくは浸透していなかった)のではないかと思います。

メイクや女性の服装に関心があり男性として扱われることに抵抗感がありつつも、カラダは男性で性的指向は女性にて、当時自分がセクシャルマイノリティだとは1ミリたりとも思いも及びませんでした。

 

表現し難く、なんともむず痒い違和感。
これが私の青春時代です(^^)

 

男を演じることの限界

私は一般的な学生や社会人とは異なり、20代は芸能の世界にいました。

無名で鳴かず飛ばずという状態のため、何をするにも全て自分。

テレビで役付きの時はメイクさんや衣装さんがほんのちょっと見て下さったこともありましたが、基本的に演者のメイクは自分でするもの。
舞台出演の時は100%自分でする状況だったので、メンズメイクとはいえ先輩方に教えて頂きながらメイクのコツを覚えました。
といっても、ドーランを使った舞台映えするメイクにて、そのままだと日常生活ではかなり濃いのですけど……。

生まれもったカラダが男性なので男性らしくしなくてはいけないという思い込みもあり、殺陣を習い時代劇にも主演させて頂いたものの、どうもサマにならず。

“あてがき”をされた芝居の役柄では、なよっとした中性的な男性だったことも。
はじめ台本を頂いて役柄を知った時は「なんだよこの人物設定」と少々不満に感じたものの、結果的にはむしろこちらのほうが自分らしくナチュラルで、はまり役でした。

作品の一部として自らパフォーマンスをするより、作品全体のディレクションやプロデュースをするほうが性に合っていて楽しいと感じていたこともあり、男性らしくしようとすることは所詮下手な演技でしかないのかもしれないと、薄々悟りました。
自分で自分に無理やり男性という役柄を演じさせていたのかもしれません。

 

男女の分け隔てがない社会人時代その1

私が社会人デビューをしたのは一般的な人よりもだいぶ遅く、29歳から30歳になろうとしていた時。この時採用して下さったマネージャーさんには感謝の言葉しかありません。

職場はモーレツ営業会社でありイケイケ出版会社で、仕事内容や役職で男女の分け隔てがほとんどない社風。

労働環境に今ほど厳格ではない時代だったので、22時を過ぎてもフロアに半分以上人がいるのがあたり前。私がいた部署は7割くらい女性でしたが、本当に男女関係なく普通に誰もが深夜まで仕事していました。
深夜残業の是非は別として、男女関係ないという環境がとても心地よく、これが世の中のあるべき姿だと思いました。

 

この当時もまだ、自分自身がセクシャルマイノリティに関する正確な知識を把握していませんでした。カラダが男性で性的指向が女性なら、男性として振舞わなくてはいけないという思い込みは変わらず。

社内外の社会人仲間や先輩後輩とともに、週末になれば銀座や青山で合コンをしたり六本木や西麻布のクラブへ繰り出したりする日々。
人脈も広がるのでそれはそれでいい経験ではありましたが、男性としての“狩り”の本能より女性としての“守る”本能のほうが自分に合っているような感覚でした。
今思うと無理をしていたなと。

 

メイクに関しては、友人がやっていたネットワークビジネスのメイク道具を使ってメイクレッスン講座を受けてある程度マスター。自分に対してのほか女性に対してもメイクを施せるようになり実践もしました。
今は他人へメイクするのは無理ですし、とうの昔にネットワークビジネスの縁は切れました。

服もいくらか購入したものの、女性の装いで街中を出歩くのは不安。
当時は男性が女性の装いで街を歩いたら変質者扱いというか、犯罪者扱いで捕まるのではと思っていたほど。

メディアで見聞きしていた新宿2丁目に行けば居場所があるかもしれないと思いつつ、どこにどうやって行けばいいのか皆目見当がつかず、結局行けずじまいでした。

 

新宿2丁目を誤解した社会人時代その2

勤め始めて2、3年した頃、自身がゲイであることを公言している後輩が職場に入ってきました。

ある時、その方が引率のうえ物見遊山的な「新宿2丁目ツアー」をすることになり、同僚や後輩たち男女数人とともに週末の2丁目へ出陣。
自分自身がなんとなくおかしいと長年感じ、もしかしたらゲイなのかと悩みはじめたこともあり、怖いもの見たさとワクワク感とともに、自分探しの場になると思ったのです。

ゲイバー、ゲイバー、ゲイクラブと3軒ハシゴして連れていってもらったのですが……。

一緒に行った職場の仲間以外ほぼ男性しかいない環境。
「いい男ね♪」「ハッテンバ行こ♪」と声をかけられるシチュエーション。

会話はとても楽しいのですが、自分が今いる環境と男性として求められている状況が生理的に受け付けませんでした。

「私はゲイではない。2丁目無理!」というのがその時の結論。

少々不謹慎な表現かもしれませんが、レジャーや観光感覚で訪れていれば楽しかったのかもしれません。自分探しと確認のために行ったので拒絶反応が強かったのだと思います。

ゲイの方が案内する行きつけの店なので、ゲイ向けのお店ばかりなのは当然。
新宿2丁目にはゲイバーに限らずレスビアンバーやミックスバーなど多種多様なお店があるにも関わらず、当時はよく知りませんでした。

 

2丁目はゲイタウンと呼ばれていたこともあり、この日の件で2丁目は私に無縁の街だと誤解。
以後、2丁目に足を踏み入れることは数年間ありませんでした。

念のため補足しておきますが、決してゲイの方々やゲイバーを否定するつもりはありません。単に私の性的指向と異なるというだけで、話をしたり飲んだりするのは楽しいです♪

 

30代の私は変態!?

20代から30代になると、職場や遊び仲間、イベントの仲間などさまざまな場面やコミュニティーにて、私の仕草や言動などに対し「ゲイでしょ」「おかまっぽい」「女っぽい」と言われることが増えました。

私自身ゲイではないので「ゲイでしょ」と言われると明確に否定できるのですが、「おかま」と言われると明確に違うとは言い切れないのでヒヤッとした気分に。「女」と言われると実は心の中ではすごく嬉しかったり心地よかったりしました。

 

当時の私が知っていたセクシャルマイノリティに関する知識は、ゲイは男性が好きな男性で、レズビアンは女性が好きな女性ということ。
私は女性っぽいと思っていても好きになる性が女性だったのでゲイではないし、身体が男性にてレズビアンだとは考えもしませんでした。

「私、なんか変。なんなのだろう」
長年ずっとわからずに過ごし、いい大人になっても自分で自分のことが理解できませんでした。

「女性になりたいと思っている私はきっと変態か異常者に違いない。これは絶対人には言えない、隠し通そう」
これが当時の私のスタンスです。

同い年の旧知の友人女性と飲んでいた時のこと。
「あんたね~、男が35歳超えてバツでもなく結婚もしていなかったら、ゲイか変態って思われるよ」
酔った勢いでそんなことを言われました。

言われて落ち込みはしませんでしたが、「私、やっぱり変態なのね。ズボシ」と太鼓判を押された気分(笑)

結婚して夫になってパパになるということに抵抗感があるというか、自分が夫やパパになるというイメージや願望を生まれてこのかた全くもって湧いたことがないという状況。
この心境を明確に説明できる理由や根拠がわからず、ただ嫌だという感覚しかない中で歳を重ねてきました。

 

まわりからさまざまなことを言われても、自分で自分のことを理解できていなかったので、説明のしようがなく仕方ありません。
そのため当時関わっていたみなさん、私について諸々おっしゃったことに対し不快なわけではありませんし、もちろん謝罪を求めるつもりもありませんのでご安心を。

 

理解し始めた2010年代前半

私は2009年のゴールデンウイークに、当時住んでいた東京都目黒区から北海道札幌市へ移住しました。

2010年代に入るとLGBTQ+に関する情報が数多く流れるようになり、世の中の認知や理解度も高まりました。情報が増えるにつれ、私自身も当事者なのではないかと思い始めるように。

 

確か2010年か2011年のある日、私にとって衝撃的なものをネットで見つけました。

それは、「プロパガンダ」。

「プロパガンダ」とは、2010年代前半に新宿歌舞伎町で開催されていた、女装とニューハーフが集う当時日本最大級のイベント。トランスジェンダー(MtF)の方々の間では伝説の企画です。

この時既に北海道へ移住していましたが、勇気を出してはるばる遠征をし訪れてみると、自分と同じ境遇の人が何十人・何百人といたことに驚きとともに安堵感を覚えました。
トランスジェンダーの方もいれば趣味で女装をしているだけという方も多々。
ゲイの方からノンケ(セクシャルマイノリティではない方)の女性まで、さまざまな方々がお互いを認め合うように巨大フロアの中にいました。いかがわしいこともなく健全に。

東京都民だった数年前にこの世界に気づいていたら、きっと毎週のように入り浸りだったかもしれません。北海道への移住を決断できたのか怪しい気がします。今頃違う人生を歩んでいたかも!?

それ以来、札幌市に住んでいながら歌舞伎町や2丁目にちょくちょく出没するようになりました。

 

当時はLGBTQ+界隈の方々以外には友人知人はもちろん、パートナーや親兄弟にすら自分の素性を打ち明けていなかった状況。
時折訪れるといっても東京出張のついでに新宿へ行くイメージでした。というより、新宿へ行くために都内の仕事を作るというほうが正しいかも!?

当時新宿には出入りするものの、人と人とのつながりが強い地方ではいつどこでバレるかわからいという恐怖感が強く、北海道ではLGBTQ+界隈の関係先ですらあえて出入りをせず、一切関わらないように過ごしてきました。

 

ある時、仕事で訪れた関西のある街で、かつての職場の同僚女性と10年ぶりに再会してサシで飲み、こんなことを言われました。

「今だから言うけどさ、かわしまくんってさ、仕事でも飲みでも全然気を遣わなかったんだよね。気を悪くしたらホントにごめんね、なんかさ、安牌っていうか(笑)。男の人といるって感じがしなかったんだよね」

言われて悪い気はしませんでしたし、むしろ嬉しかったというかホッとした気分。
自分はやはり当事者だったとようやく気づいたのはこの頃です。

 

2015年に確信

自分が当事者だと確信したのは、2015年に電通ダイバーシティ・ラボが発表したLGBT調査を読んだ時。

「私、これだ!」

全身でビクッとするくらいの衝撃的な電流が流れ、頭の中で100万ワットの電球がパンとついたような。
何回も読み直しました。

「これに違いない」

長年の難問、一生わからないと思っていた自分のミステリーが解き明かされ、私は変態ではないと立証された気分(一般の方から見たら私はじゅうぶん変態かもしれませんけど)。
私にとっては世紀の大発見、革命的な一大事でした。

 

それ以降、webで情報を探したり2丁目仲間との交流で話を聞いたりしながら、より理解しようとしました。2丁目のあるお店では、女性の姿をしたかつての職場の先輩男性と偶然再会し、さまざまなお話を伺いました。

この頃から少しずつ髪の毛も伸ばし始めました。

幸か不幸か日光湿疹が激しく出る体質なので、髪を伸ばすことで耳元や首回りの日焼け炎症防止にもつながり私にとっては一石二鳥。
「なんで髪が長いの?伸ばしているの?」という周囲の問いに、「日光湿疹対策」という大義名分というか誤魔化しができました。悩ましい日光湿疹ですが、これだけは唯一ラッキー!

時には長髪の私を見た人から「どうしたの?女装趣味?」と言われ、「趣味じゃない!」と内心ムッとしたことが何度もありましたが、心境を伝えられない状況にて仕方ないと割り切って受け流していました。

 

いくら自分が自身のことをセクシャルマイノリティだと思っていても、本当にそうなのだろうか。
そんな疑問や不安もあり、自分で自分を確かめるためにも札幌医大のGIDクリニックを秘かに受診することにしました。

はじめは迷いや戸惑いもありましたが、日に日に確信が自信につながり、時間はかかったものの「性同一性障害」という確定診断が出ました。
言い方はちょっと変ですが「公的なお墨付き」「印籠」のようなものです。

パートナーには2019年初夏に性同一性障害の診断書を見せながらカミングアウトして受け入れてもらえ、親兄弟には2020年初旬に伝え、理解してもらえました。
取引先にも2020年初頭より各社へ随時伝えてひとまず問題はなく、ごく一部の友人知人にも伝えて快く受け入れてもらったようです。

もっともこのご時世、面と向かって嫌悪感を表明することも難しいでしょうけど……。もし理解してくれと無理強いをしていたらすみません。

 

生まれた時代とこれからの半生

若かりし頃、なんとなく変な感覚がありつつも自分で自分のことを理解できず、自分らしく生きるということもなく過ぎてきました。

私と同世代のトランスジェンダー仲間とはよく、「私たち、生まれる時代を間違えたよね」と笑いながら語ります。
かつては誰もが情報や知識がほとんどなく、私を含め多くの当事者が自分自身のことをよくわからなかったからです。

仕方ありません。
このことで親や兄弟、友人や先輩後輩、先生はもちろん、社会や世の中を責められません。

セクシャルマイノリティの情報と知識が世の中にこれだけ浸透している現代に生まれ、青春時代を送っていたらどれほど楽しく幸せだったのだろうと思います。今の10代20代の方々が心底羨ましいです。

過去は過去。歴史は変えることも戻すこともできないので、囚われていても意味がありません。
今までのことを全否定するつもりは毛頭ありませんし、いつでもどこでも素晴らしい仲間に囲まれて生きてきたので、自分の歴史に悔いも憂えもありません。

 

人生の半分は男性を装い生きてきましたが、残りの半生は少なくとも見た目と心は女性として生きます。なぜなら、自分がしっくりくるから。

JKブランドやキラキラ女子大生、華のOLは経験できませんでしたが、その分これからの新しい人生を楽しみながら過ごします。

女性のみなさま、メイクや服、仕草など諸々、盛り過ぎやり過ぎそれアウトとお感じになることがありましたら、遠慮せずご指摘頂けますと有難いです。なんせ、女性見習いなので……。

みなさま、これからどうぞよろしくお願いします♪

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